明治の讀賣新聞における「化物会」の活動について
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※BOOTHの決済手数料値上げに伴い、値下げをいたしました。ご了承ください。 明治末期、讀賣新聞紙上で結成された趣味研究会「化物会」について調査した報告書です。 2017年12月初版・全106ページ。 ※自宅からの先払い発送となるため、価格がイベント頒布時よりも高く設定されています。 以下、「異類の会」における発表時の要旨 明治時代における妖怪・お化けに関する研究で、最も有名なものは井上円了による妖怪研究であろう。仏教哲学者である円了は『妖怪学講義』『妖怪玄談』などの著作を記し、また1893年には「妖怪研究会」を設立するなど、哲学や科学によって妖怪や迷信、俗信の打破を目指した。これらの研究は明治維新・文明開化による日本の様々な面での西欧化・近代化の大きな流れのうちの一つとしてとらえることができるが、同時に、円了は明治期において最も妖怪やお化けについて詳しい人物でもあった。 しかし、円了が全国を巡回し、講演会を行い始めた頃に、讀賣新聞紙上でとある会が発足した。それが「化物会」である。 1907年7月に発足したこの「化物会」は、「お化は居るものとか居ないものとかいう様な野暮な研究にあらず」「昔からあると伝えられたるお化を利用して学術に関する多趣味多方面の新式研究を試むるもの」であると紙面上で盛んに宣伝し、第一回会合には坪井正五郎、芳賀矢一、鳥居龍蔵といった当時の有名な研究者の面々を集めたにも関わらず、同年9月の初めには紙上からほぼ完全に消滅してしまった、謎の会である。しかし、わずか二ヶ月ほどの活動期間の記事には、その当時の妖怪に対する見方や、現代においても重要な記述や指摘などが多くあり、この会の活動について研究することは意義があると思われる。 当時、井上円了による「妖怪学」が興隆し、円了自身が全国で講演会を開くほどであった。妖怪の実在・非実在や迷信の害についてなど、啓蒙的な学問であった妖怪学に対抗する形で、「お化けを利用して学術に関する多趣味多方面の新式研究を試みる」という別視点からの研究を求めた結果だったと考えられる。 また、「集古会」や「流行会」に代表されるように、当時の文化人は趣味や学問を共有して楽しむ傾向があったように思われる。「化物会」もその一環だったのではないか。 1907年8月30日の讀賣新聞の社告『九月以後の讀賣新聞』に、「三面記事改良」という項があり、『淫猥なるものを避け、毒悪なるものを避け、常に高尚なる材料を選んでかかげ、(中略)一家団欒の席上にて朗読するも決して顔を赤らめたり、不快に感じたるする事なきは本紙三面記事の特徴なり、…』と書かれた。「化物会」関連の最後の記事である『珍怪百種 完』が9月5日であることを考えると、一連の活動は三面記事改良に伴って連載不可になってしまった可能性がある。1908年2月22日の投書欄に『化物研究会は其の後どうなりました 会名が会名だけに立ち消えになりはせぬかと心配しています』という投書があり、読者にも告知なく消えてしまったことが推察できる。 単純にお化けらしい季節である夏季のみの活動だったのではないかとも考えられるが、仮規則などは長期活動を考えた内容となっているので、短期活動だったとは考えにくい。